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12月に入ってすぐ成田選手からスポンサーさんやメディアに向けたお詫び状が届きました。
その文面を公開させてもらえるよう本人にお尋ねして、お許しをいただきましたので紹介させてもらいます。

日本のモトクロスを語るにあたり、成田選手ぬきでは考えられません。
今回のことが起きて、このことにフタをできるのならしてしまいたいようなもどかしい気持ちから、
自分達になにかできたのではという思い上がりのような自責の気持ちも込み上げ、とても複雑な思いです。
みんなで引退の花道を送れなかったことはモトクロスファンとしてとても残念です。
時間が経ち、いろいろな方のご意見や感想をうかがい自分なりに消化されつつありますので
ここに書き記しておきます。
成田選手は既に関係各所からの処分・罰を受けていますので、ここでは件の良し悪しについては控えさせてもらいます。
2019年のシーズンオフに入る頃
「契約がなくなりレースを走るのは困難になりました、ファンの人たちにお礼もできずに止めるのが心残りです」
と今までになく残念な気持ちで話していました。
その後、支援してくださる方がいらっしゃって、なんとか全戦を回ろうと決断されました。
あたりまえのことですが「出るからにはただレースをするだけじゃなく、勝てる体制に」と最後までトップ争いをしてファンの人たちへレース見せたいという気持ちでした。
そうなってくると、状況は難しくなりました。
ネイションズで負った怪我からの回復と体力づくり。
市販されている車両をベースのマシンづくり。
手伝ってくださるメカニックとスタッフを集める必要がありました。
費用はかかりますが中途半端なことはしたくなかったはずです。
併せて、家族の生活、自分の生活も守る必要がある。
そのために各方面に資金援助をお願いし、繰り返しドネーションを募りました。
長いシーズンオフから8月の終わりに開幕戦を迎えます。

7位/6位のリザルトはチームスタッフの言葉も少なくなりました。
そんな中、チームアドバイザーの吉野氏の「自分が納得できる走りをしてくれたらいい」という言葉が印象的でした。
9月20日

中部選手権が行われた富山に成田選手が足を運んで来てくれました。
この日はマシンライディングはありませんでしたが、出場選手の方や会いに来てくださったファンの方と1日ゆっくりと過ごしました。
久しぶりにレースをしていない成田選手と過ごし、始めは探り探り、時には年齢なりの意見もさせてもらいながら近い将来のことについて話しました。
10月の第3戦
暑さも弱まった第3戦、3ヒートの超スプリント。
ヒート1は6位。ヒート2、終盤に入って覚醒したような力強い走りで4位。
ヒート3はスタートからゴールまでトップを守りきりました。
東北のみなさんに最後の勝利をプレゼントすることができました。

11月の第5戦に向けて弾みもつきました。
ですが、、、
今回のことが起きた時、
大手メディアニュースに上がった記事がモトクロスを知らない人たちの目にも止まるとともに
私たちモトクロスを好きな人たちの心に突き刺さりました。
多くの人が感動するレースであんなにも多くの勝利で記録を残し、不幸な出来事も困難も乗り越えてきました。
そんな彼が一瞬の感情で、とてつもなく大きなものを崩してしまいました。
そこまで精神的に追い詰められていたんだと思います。
「もしこうなっていたら」「あの時こうしていれば」
何回もいろんなストーリーが巡りました。
この1年はこのことに限らず、彼に限らず、いろいろな場面で制約もあり生きづらい年でした。
出来事には原因と結果があり、この出来事の原因に対して感情任せにしてしまった代償は高かったです。
私は2004年から成田選手のウエブサイトの運営を軸にお手伝いをしてきました。
ここまでの約17年はあっという間でした。
成田さんは様々なところへ連れていってくださいました。私の見たことのない、ほとんどの人が見てないたくさんのモトクロスを見せてくれました。
素人だった私を最初からプロとして扱ってくださったこと、時には躊躇なく厳しく接してくれたことが、30歳過ぎまで中途半端だった自分を成長させることができたと感じています。本当に感謝しています。
そして様々なつながりを作ってくださり、このウェブサイト”MXEE.NET”を運営してこれたのは成田さんのおかげです。
このことに対する感謝の気持ちは変わりません。
彼の残してきた功績へ敬意を表します。
成田 亮さん長い間おつかれさまでした。
謝罪文の文面からは反省と後悔の念が読み取れました。今は静かに見守りたいと思います。
そして成田さんが自分自身を大切にして、新たな生活を穏やかに送ってくれることを願ってやみません。